人声私語ダイジェスト
人声私語ダイジェストは1994年から1995年にかけて「人声私語」というタイトルで書いたエッセイの中から約100編を選んで、テーマ別に分類したものである。
当時私は44才、長浜北高校という中堅の進学校に勤務して、物理を中心に化学、生物、地学などを教えていた。結婚して12年目で、小学校3年生の長女と1年生の長男、それに幼稚園の次男の3人の子どもがいた。そして、もうひとり、というか、もう一匹忘れてはならないのがムーという名前の犬である。家族の誰もがこの犬をかわいがっていたので、この犬は家族の中心にいて家族の接着剤のような役割を果たしていた。「五人と一匹」は、この頃の具体的な出来事を書いた文章を集めたものである。
また、四〇才を過ぎた私は、すでに人生の折り返し点を過ぎたと感じて、なんら成し得ないままに私は人生を終えることになるのだろうかというような焦りも感じていた(「ああ、中年」)。しかしそれと同時に、私自身の生命観、人生観を転換させるようなこともあって(「干上がる川で」など)、私の周囲の自然へのいとおしさも感じていた(「生命の四季」に収めた文章)。
さらに、私は理科の教師としていろいろ感じたこともあるし(「ふしぎ大好き」)、理科の教師でありながら文系的な関心もあったので、そのような文章もある(「日本語の風景」など)。
そして、1994年、95年は、政治的にも社会的にも激動の時期だった。それまで約40年間、自民党による長期安定政権が続いてきたが、リクルート事件をきっかけに政治改革論議が起こり、政治改革に消極的な自民党が総選挙で過半数割れを起こしたことによって、その前年(93年)に細川連立政権が誕生していた。これは、自民党が日本の政治をにない、その批判勢力として社会党が存在するという、いわゆる55年体制が終わったことを意味する。そして94年の1月には細川政権によって、小選挙区制を柱とする政治改革関連法案が成立した。しかし、細川首相は4月にまるで政権を投げ出すかのように退陣し、その後短期間の羽田政権の時期をはさんで、6月には社会党の村山富市を首班とする自民・社会・さきがけ連立政権が誕生した。長らく、日本政治の対立軸であった自民党と社会党の連立という事態は、数ヶ月前まで誰一人予想もしなかった大転換であった。
さて、その直後、長野県の松本市で何者かが猛毒のサリンガスを発生させ、近くの住人を死亡させるという松本サリン事件が起こった。警察はその容疑者として第1通報者の河野さんを拘束、マスコミもほぼすべてが河野さんを犯人扱いする報道を繰り広げた。こうして彼を犯人とする決定的証拠がないまま、世間には河野犯人説が根強く残った。そんな中で、翌年の元旦、読売新聞に山梨県の上九一色村でサリンの残留物が検出されたというスクープ報道が掲載され、風向きが少し変わる。
そして1995年、1月17日、阪神淡路大震災がおこった。これは淡路島北部の深さ16kmの地点を震源とするM=7.3の直下型地震で、6000人以上が死亡し、約30万戸の住宅が全壊、半壊、消失、高速道路も橋桁から倒壊するという戦後最大の自然災害であった。
その混乱が多少落ち着いた頃、さらなる大事件が起こった。3月20日、東京の地下鉄でオーム真理教の信者がサリンガスを発生させ、8名が死亡するなどの大混乱が起こったのである。これは松本サリン事件の捜査が自分達に迫っていることを察知したオーム真理教側が先手を打って攻撃に出たものだった。それをきっかけにして大規模な上九一色村のオーム真理教施設への捜査が行われ、麻原彰晃ら多数のオーム真理教関係者が捕らえられた。その捜査の中で、オーム真理教はロシアから輸入した旧ソ連製の大型ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布する計画を立てていたことも分かってきた。もしこれが実行されていれば、何十万人もの死者が出たことだろう。
この時期の政治的、社会的な出来事に関して私が感じていた問題点は大きく分けて二つあった。そのひとつは「政治改革=金のかからない選挙=小選挙区制」という単純な図式によって日本社会が動いていくことへの危機意識であった。政治に金がかかるというのは派閥の連合体であるという自民党の党内事情の問題ではないか。それなのに政治改革という錦の御旗のもとに小選挙区制が導入されれば、少数意見が切り捨てられ、ただでさえ、非論理的、情緒的に揺れ動きがちな日本社会で、民主主義の根が断ち切られてしまうのではないかという危機感である。
そして第2は、政治改革という錦の御旗をいともたやすく受け入れてしまった日本社会、そういうことに何の疑問も提起しない日本のマスコミのふがいなさ、無責任さである。そういうマスコミへの不信感は松本サリン事件の報道を見て頂点に達した。サリンのような猛毒物質は大規模な設備がなければ作れるものではないから、河野さんが犯人でなかったことは明らかだった。理科の教師で化学物質や化学反応についてもそれなりの知識を持っていた私は、事件の第1報を聞いた時からそのことを確信していたのだ。ところが、優秀な科警研を持っているはずの警察も、優秀な科学記者を擁しているはずの大新聞も、河野犯人説を煽り立てた。当然、警察にも新聞社にも河野犯人説に疑問を抱いた科学者がいたはずなのだが、そういう人の意見は組織内で圧殺されたのだろう。これは日本社会のあり方からしても、マスコミのあり方からしても、大問題である。私はそういうことを社会に訴えたいと思った。
人声私語の中にはこうした出来事に触れたものがたくさんある。私が人声私語を書き始めた直接のきっかけは個人的な事情だったが、書いているうちに次々と大事件が起こって、まるで熱に浮かされるような気分で書き続けたのである。そして、私にはそういうことを周囲の人々に伝えたいという強い思いがあった。しかし、当時の私は高校の教員で、政治的な発言をすることはできなかった。特にこの時期は学年主任という立場にあったので、軽率な言動をして社会から批判されることになれば、私が主任をしている学年の各担任の先生や学校に迷惑をかけてしまう。
では、そうならないような形で発言していくにはどうすればいいか。そのひとつの方法は、私の文章を一般の新聞や大手の出版社の雑誌などに連載することだと思った。そうすれば出版社の権威を借りることによって批判も軽減されるだろうし、批判されてもそれを乗り越えられるだろう。天声人語に対抗する形で「人声私語」と名付けたのも、あえてそういうマスコミ受けしそうなタイトルをつけようと考えたからである。そして私はこの文章の掲載を新聞社や出版社に依頼した。そのとき、私は自分の文章の内容に自信を持っていたが、マスコミのハードルは高く、どこにも相手にしてもらえなかった。
今でも私はこれらの文章の内容に自信を持っているし、30年という年月が過ぎた今でも日本の社会の基本的な体質は変わっていないので、現在にも充分通用する内容だと思っている。さいわい、どの文章も660字という字数制限の中で書いているので、気軽に読んでいただけるはずである。また、私は特殊な用語や難しい言い回しなどは避けて、日常的な分かりやすい表現でそれぞれの文章を書いたつもりである。限られた字数で書いているので、多少わかりにくいところもあるかもしれないが、どの文章にも裏の意味などない。書いてある、その文字通りのことが私の言いたいことなのである。どうか、全部の文章を読んで、それぞれの文章に込めた私の思いをくみ取っていただきたい。
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