2023年1月30日月曜日

          人声私語ダイジェスト


 人声私語ダイジェストは1994年から1995年にかけて「人声私語」というタイトルで書いたエッセイの中から約100編を選んで、テーマ別に分類したものである。

 当時私は44才、長浜北高校という中堅の進学校に勤務して、物理を中心に化学、生物、地学などを教えていた。結婚して12年目で、小学校3年生の長女と1年生の長男、それに幼稚園の次男の3人の子どもがいた。そして、もうひとり、というか、もう一匹忘れてはならないのがムーという名前の犬である。家族の誰もがこの犬をかわいがっていたので、この犬は家族の中心にいて家族の接着剤のような役割を果たしていた。「五人と一匹」は、この頃の具体的な出来事を書いた文章を集めたものである。

 また、四〇才を過ぎた私は、すでに人生の折り返し点を過ぎたと感じて、なんら成し得ないままに私は人生を終えることになるのだろうかというような焦りも感じていた(「ああ、中年」)。しかしそれと同時に、私自身の生命観、人生観を転換させるようなこともあって(「干上がる川で」など)、私の周囲の自然へのいとおしさも感じていた(「生命の四季」に収めた文章)。

 さらに、私は理科の教師としていろいろ感じたこともあるし(「ふしぎ大好き」)、理科の教師でありながら文系的な関心もあったので、そのような文章もある(「日本語の風景」など)。

 そして、1994年、95年は、政治的にも社会的にも激動の時期だった。それまで約40年間、自民党による長期安定政権が続いてきたが、リクルート事件をきっかけに政治改革論議が起こり、政治改革に消極的な自民党が総選挙で過半数割れを起こしたことによって、その前年(93年)に細川連立政権が誕生していた。これは、自民党が日本の政治をにない、その批判勢力として社会党が存在するという、いわゆる55年体制が終わったことを意味する。そして94年の1月には細川政権によって、小選挙区制を柱とする政治改革関連法案が成立した。しかし、細川首相は4月にまるで政権を投げ出すかのように退陣し、その後短期間の羽田政権の時期をはさんで、6月には社会党の村山富市を首班とする自民・社会・さきがけ連立政権が誕生した。長らく、日本政治の対立軸であった自民党と社会党の連立という事態は、数ヶ月前まで誰一人予想もしなかった大転換であった。

 さて、その直後、長野県の松本市で何者かが猛毒のサリンガスを発生させ、近くの住人を死亡させるという松本サリン事件が起こった。警察はその容疑者として第1通報者の河野さんを拘束、マスコミもほぼすべてが河野さんを犯人扱いする報道を繰り広げた。こうして彼を犯人とする決定的証拠がないまま、世間には河野犯人説が根強く残った。そんな中で、翌年の元旦、読売新聞に山梨県の上九一色村でサリンの残留物が検出されたというスクープ報道が掲載され、風向きが少し変わる。

 そして1995年、1月17日、阪神淡路大震災がおこった。これは淡路島北部の深さ16kmの地点を震源とするM=7.3の直下型地震で、6000人以上が死亡し、約30万戸の住宅が全壊、半壊、消失、高速道路も橋桁から倒壊するという戦後最大の自然災害であった。

 その混乱が多少落ち着いた頃、さらなる大事件が起こった。3月20日、東京の地下鉄でオーム真理教の信者がサリンガスを発生させ、8名が死亡するなどの大混乱が起こったのである。これは松本サリン事件の捜査が自分達に迫っていることを察知したオーム真理教側が先手を打って攻撃に出たものだった。それをきっかけにして大規模な上九一色村のオーム真理教施設への捜査が行われ、麻原彰晃ら多数のオーム真理教関係者が捕らえられた。その捜査の中で、オーム真理教はロシアから輸入した旧ソ連製の大型ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布する計画を立てていたことも分かってきた。もしこれが実行されていれば、何十万人もの死者が出たことだろう。

 この時期の政治的、社会的な出来事に関して私が感じていた問題点は大きく分けて二つあった。そのひとつは「政治改革=金のかからない選挙=小選挙区制」という単純な図式によって日本社会が動いていくことへの危機意識であった。政治に金がかかるというのは派閥の連合体であるという自民党の党内事情の問題ではないか。それなのに政治改革という錦の御旗のもとに小選挙区制が導入されれば、少数意見が切り捨てられ、ただでさえ、非論理的、情緒的に揺れ動きがちな日本社会で、民主主義の根が断ち切られてしまうのではないかという危機感である。

 そして第2は、政治改革という錦の御旗をいともたやすく受け入れてしまった日本社会、そういうことに何の疑問も提起しない日本のマスコミのふがいなさ、無責任さである。そういうマスコミへの不信感は松本サリン事件の報道を見て頂点に達した。サリンのような猛毒物質は大規模な設備がなければ作れるものではないから、河野さんが犯人でなかったことは明らかだった。理科の教師で化学物質や化学反応についてもそれなりの知識を持っていた私は、事件の第1報を聞いた時からそのことを確信していたのだ。ところが、優秀な科警研を持っているはずの警察も、優秀な科学記者を擁しているはずの大新聞も、河野犯人説を煽り立てた。当然、警察にも新聞社にも河野犯人説に疑問を抱いた科学者がいたはずなのだが、そういう人の意見は組織内で圧殺されたのだろう。これは日本社会のあり方からしても、マスコミのあり方からしても、大問題である。私はそういうことを社会に訴えたいと思った。

 人声私語の中にはこうした出来事に触れたものがたくさんある。私が人声私語を書き始めた直接のきっかけは個人的な事情だったが、書いているうちに次々と大事件が起こって、まるで熱に浮かされるような気分で書き続けたのである。そして、私にはそういうことを周囲の人々に伝えたいという強い思いがあった。しかし、当時の私は高校の教員で、政治的な発言をすることはできなかった。特にこの時期は学年主任という立場にあったので、軽率な言動をして社会から批判されることになれば、私が主任をしている学年の各担任の先生や学校に迷惑をかけてしまう。

 では、そうならないような形で発言していくにはどうすればいいか。そのひとつの方法は、私の文章を一般の新聞や大手の出版社の雑誌などに連載することだと思った。そうすれば出版社の権威を借りることによって批判も軽減されるだろうし、批判されてもそれを乗り越えられるだろう。天声人語に対抗する形で「人声私語」と名付けたのも、あえてそういうマスコミ受けしそうなタイトルをつけようと考えたからである。そして私はこの文章の掲載を新聞社や出版社に依頼した。そのとき、私は自分の文章の内容に自信を持っていたが、マスコミのハードルは高く、どこにも相手にしてもらえなかった。

 今でも私はこれらの文章の内容に自信を持っているし、30年という年月が過ぎた今でも日本の社会の基本的な体質は変わっていないので、現在にも充分通用する内容だと思っている。さいわい、どの文章も660字という字数制限の中で書いているので、気軽に読んでいただけるはずである。また、私は特殊な用語や難しい言い回しなどは避けて、日常的な分かりやすい表現でそれぞれの文章を書いたつもりである。限られた字数で書いているので、多少わかりにくいところもあるかもしれないが、どの文章にも裏の意味などない。書いてある、その文字通りのことが私の言いたいことなのである。どうか、全部の文章を読んで、それぞれの文章に込めた私の思いをくみ取っていただきたい。


               目 次

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生命の四季

  恋の季節  水ぬるむ  干上がる川で  色即是空  美しい9月の朝に

  コスモスのようなヒマワリのこと  オーム貝

五人と一匹

  愛鳥週間  ホタル  廃村の人々  せんせいあのね  女どうし

  ムーの出産  ある後ろめたさ

学校の日常風景

  幼稚園に来た手紙  根性のある話  廃止されたリレー  欠席の理由

  離任式のセーラームーン 人間ってすごい!と思えるしあわせ 組織体としての学校

教育現場から

  輪番制の意義  学識経験者追放論  矛盾を糊塗する方法  居直るべし

  いじめ論議は慎重に  式場の日の丸  校長機関説

平成風景点描

  草むらの凶器  赤ちゃんに缶コーヒー  山が消えた  無礼な奴

  横暴な客  不信の社会  哀しき大道芸

ふしぎ大好き

  ふしぎ大好き  水槽の生態学  摂氏2度で水が凍る?  UFOの正体見たり

  失われた不思議  1PPM  プルト君のウソ

日本語の風景

  人という字  いかがなものか  明日に架ける橋  だった症候群

  壮大なるゼロ  尊い犠牲とは?  ふたつの言語観

文化って何だ

  いわさきちひろの絵  ドラゴンと龍  不気味な世界  エンタメ殺人事件

  芸術って何だ  『モモ』のどこがいいの?  擬人化の問題点

マスコミに異議あり

  大誤報の理由  アレッ?  マッチガソリン  編集者の品性を問う

  感情論に異議あり  食い違う新聞報道  犬も卒倒いづこも同じ待宵月

サルの政治

  まじめにやれ  税制論議のまやかし  選挙制度改革の結果  全会一致

  衆愚政治  永田町の懲りない面々  バカを温存する社会

ああ、日本人

  醜い日本人  日本の負債  深い断絶  銃を持つ権利

  原爆切手の衝撃  ルワンダの悲劇  反核のスタンス

マージナルマン

  マージナルマン  私の挫折  教師らしい教師  欠落したもの

  私が酒を飲めない理由  私の自慢話(1)  私の自慢話(2)   

ああ、中年

  ああ、中年  おとなの世界  知らぬ間の春  雨にぬれた朝

  草いきれと煙のにおい  時の流れに  すさまじき思い


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              生命の四季 について


  私は小さい頃から自然が好きだった。春、夏、秋、冬と季節が変わる中に身を浸していると心が安まるし,動物や植物の姿には、地球で生きている仲間としての連帯感さえ感じたものだ。それは今も変わらない。ここに収録したのは、そのような季節ごとの自然の姿を写した文章である。

 ところで、一九九四年の夏は何年ぶりかの猛暑と干天で、日本各地の川や沼が干上がったが、そんな中で多くの生き物の死を見た私は、「生と死」ということを意識する機会が多かった。やや感傷的すぎるかもしれないが、この年、私はそのような文章を多く書いたので、ここにもそのいくつかを取り上げた。

 「人声私語」には他にも歳時記的な文章が多くあり、ここに収録したいものもたくさんあったが、結局、紙幅の都合で見送らざるを得なかった。自分が愛着を感じる文章の中からいくつかを選ぶのは本当に難しいものだと痛感する。

生命の四季

  恋の季節  水ぬるむ  干上がる川で  色即是空  美しい9月の朝に

  コスモスのようなヒマワリのこと  オーム貝

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              恋の季節


 数日前、車を運転していたときのことである。郊外の信号で止まってふと気づくと、すぐ前の横断歩道の上でスズメが羽根をバタバタさせている。ケガをしているのだと思い、このままでは車にひかれるから横へ移してやろうと、車のドアを開けて降りかかった。

 するとスズメは急に飛び立ってすぐそばの歩道におりた。見ると、なんと二羽なのである。ケガしていたのではなく、交尾の真最中であったらしい。恋の季節が到来したのだ。

 翌日、強風注意報が出て、風速十何メートルかの風が吹いた。家の窓からぼんやり眺めていると、その強い風の中を、スズメらしい鳥が、何か小さな黒い小物体のように飛ばされていくのが見えた。このあたりの樹々はほとんど落葉樹で葉を落としたままなのだが、こういう日に、スズメがどんなところにいるのか、私は知らない。

 そして、またその翌日、今度は朝から雪が降った。しかし、雪はすぐにやんで晴れわたり、真白になった遠くの山々がくっきりと見えた。周囲がまぶしいほどに白いだけに、あっちこっちと飛び回るたくさんのスズメの姿が目立ち、にぎやかな鳴き声が聞こえた。

 不思議なもので、普段はその存在さえ気に止めていないスズメなのだが、一度意識してみると、その後やけに目立ち、何かいとおしさに似たものすら感じられる。

 しかし、春夏秋冬と季節がめぐり年がたっていく中で、スズメは人に見られようが見られまいが自らの営みを続けている。それはもう何十万年も続いてきたことで、今また春になったという、それだけのことである。

生命の四季

  恋の季節  水ぬるむ  干上がる川で  色即是空  美しい9月の朝に

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              水ぬるむ


 水ぬるむというのは、早春をあらわす季語だそうだ。しかし『ぬるむ』ということばの語感は、むしろ今の季節にふさわしいように思う。今日、四月五日、近くの川辺に散歩に行ったら、このことばがぴったりと当てはまるような情景に出会った。

 芹川という川幅が二、三十メートルの川である。水はよく見ないとわからないほどゆったりと流れ、その表面に細かい藁クズのようなゴミが浮いていた。空は晴れ渡ってほとんど風もなく、穏やかな日の光が川面を照らしている。岸辺ではタンポポやスミレが咲き始めている。こんな日は、川面に浮かぶ藁クズさえ好ましく思われるものだ。

 川の真中あたりには百羽ほどのカモが群れをなしていた。冬の頃は見かけた記憶があまりないので、ちょっと不思議な気もする。散歩に連れていった犬がしきりにそのカモに向かって吠えるのだが、カモの方は一向に気にする気配もなく悠然と水に浮かんでいる。

 最初は気付かなかったが、よく見るとカモは二羽づつ行動をともにしている。一羽はやや大きく茶色や青色の羽根の色が鮮やかで、もう一羽はやや小さく地味である。小石を拾って近くのペアーに投げたら、仲良く連れだって飛び立ち、しばらく一緒に飛んだ後に少し離れたところに降りた。それがおもしろくて何度か同じことを繰り返した。

 そうしながら、こんな事をしているとどこかの教育ママが眉をしかめるかもしれないと思った。しかし、私が投げた石は共に春を生きる仲間であるカモ達への親愛の情を込めた挨拶なのである。

生命の四季

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              干上がる川で


 例年より早かった梅雨明け以来、もう二十日あまりも雨の降らない日が続いている。

 そのため、普段は川幅が三十メートルはある芹川もどんどん干上がり、水の流路が極端に狭まった。しかも、その水もよどみがちで、深みには水草が生い茂っている。露出した川底のあちこちに深さが十センチもない水溜りが出来ているが、これも日一日と小さくなり、干上がってゆく。

 夕方、この川岸を歩いていると、流路の一部が異常に盛り上がり、水草の間にピカッと光るものが目についた。何だろうと近寄ってみると、なんと数千匹もいようかという小魚の大群だ。まるでその魚の一部が群れからはじき出されるようにして水面に跳ね、その白い腹が夕日に光るのである。

 私はふと気になって水溜りの一つを覗いてみた。すると居る居る、さっき見たのよりはずっと小さいが、やはり何百匹もの魚がそこに群がっているのだ。 この魚たちは水溜りが干上がれば死んでしまう他ない。いや、既にそのようにしてあちこちで無数の魚が死んだのだろう。彼らはこうした環境の変化から身を守る術を持っていない。自然の気まぐれのもとでは個体の運命など風前の灯し火よりはかないのだ。しかし彼らの仲間の一部は安全な水域に逃れていて、やがて新しい命をはぐくむはずだ。

 生命の本質は個体にではなく、種にある。何千、何万の魚が無為に死ぬ。だが種は生き残る。そういうことは理屈としては知っていても、実際に自分の目で確認してみるとやはり強烈な印象を伴うものであった。

生命の四季

  恋の季節  水ぬるむ  干上がる川で  色即是空  美しい9月の朝に

  コスモスのようなヒマワリのこと  オーム貝

 

              色即是空


 夏山に登ろうと、家族五人で山の麓でキャンプした。山の麓とはいっても、暑さは市街地とそう変わらないようだが、生き物たちの姿はまるで違う。まず気がついたのはやたらとチョウやトンボが多いことだ。チョウもトンボも小さなものから大きなものまで多種多様なものがいて、しばらく手を差し出しているとその先にとまってくる。まるでチョウとトンボの里という風情だ。

 森の中に入っていくと、さすがにこの干天続きで谷川には水がなく、大きな石ころばかりが転がっている。しかし森の土はしっとりしているし、森の下草も湿気を含んでいる。しばらく歩いて行くと清らかな谷川の流れにも行き着いた。このあたりでは、命がみなぎっているという感じだ。そんな様子を見ながら私が思い出したのは、干上がっていく芹川で死んでいった夥しい小魚たちであった。

 仏教で、色即是空、空即是色という。このようにみなぎる命も、その本質的なところでは外界の諸条件に支配されており、外界から独立して存在できるものではない。実際、一見ゆたかなこの森も、たとえばもう何カ月かの干天が続けば滅びていくだろう。ところが、そうして滅びたかに見える命も、どこかにその種子を残しており、条件が整えばまたこの地上を覆っていくに違いない。

 私たちのキャンプ地にはたくさんの猿がいた。森へ残飯を埋めに行った長男が作業の途中で猿ににらみつけられて怖くなったと、スコップを振り回しながら逃げて来た。こういうできごとも、いわば『色』の世界、命あるもの同士の交流の一つの姿であろう。

生命の四季

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  コスモスのようなヒマワリのこと  オーム貝 

              美しい九月の朝に


 それは九月初めのきれいに晴れた朝、出勤途上でのことだった。田園の中の広い道を走っていると、道路の真ん中に数羽のカラスが群れていたのだ。私は車のスピードを落として近づいたが彼らはまるで飛び立つ気配がない。仕方なく私はその五メートルほど手前で車を止めた。

 見るとカラス達はテニスボール大の白いものを奪い合っている。私は何だろうと思いつつ車から降りて近づいたが、カラス達はそれでも逃げない。二メートルほどの距離に近づいたとき、私はようやくそれが小猫であることに気づいた。小猫はニャーニャーと悲鳴を上げていたが、カラス達はそんなことにはまるでお構いなしに、この獲物を独占しようとして周囲から引っ張りあっているのだ。私はあわててカラス達を追い払った。

 見ると小猫の両目はつぶされて真っ赤な血に染まっていたが、その外には目立った外傷はなく足どりも確かである。この猫をどうしようかと、私はしばらく迷った。私が拾って手当をしてやれば命をとりとめるだろう。だが、もしこのまま放置しておけばまだ未練がましく上空を飛び回っているカラスの餌食になるのは間違いない。……しかし、とりあえずこの場を救ったとしても、私がこの猫を将来に渡って飼うわけにはいかないのだ。

 結局、私は小猫が道ばたの草むらの中へ身を隠すのを見届けてその場を後にした。車を発進させてからも、まだカラスが舞い降りてこないことをバックミラーで確かめながら走ったが、悲劇の現場は急速に視界から去り、車は市街地に入っていったのだった。

生命の四季

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  コスモスのようなヒマワリのこと  オーム貝 

        コスモスのようなひまわりのこと           


 数年前のことである。私は一袋の種を買ってきてひまわりを育てた。ひまわりは普通、直播きするものらしいが、私はまず育苗用の小さなプランターで苗を育て、それを家の周りに移植した。約十本のひまわりはグングン伸びて二階の窓の高さにまでなり、見事な大輪の花を咲かせた。

 そしてその秋、このひまわりがすっかり枯れてしまった頃、私は生け垣の日陰に形も大きさもコスモスとそっくりの黄色い花を見つけた。最初はそれが何かわからなかったが、やがて、それは場所がなかったために移植せずそのまま忘れてしまったひまわりであることに気づいたのだ。その瞬間、私は胸を一突きされたような衝撃を感じたのだった。

 私が移植しなかったために、小さなプランターの中で根も張れず充分な養分も吸収できなかったひまわり。おまけに生け垣の日陰になって太陽の光さえ受けることが出来なかったのである。それでも精一杯に育って、こうして時期遅れの小さな花を咲かせた。

 私がそのときに感じた思いは、ちょっと説明がつかないほど複雑だった。まず、私がこのように放置して忘れてしまっていたことへの罪悪感があった。恵まれない条件の中で懸命に育ったひまわりの生命力への驚きと、頬ずりしたくなるようないとおしさもあった。そして逆に、このようにしてまで育つ生命というものの不気味さをも感じた。

 そのコスモスのようなひまわりは、やがて、小さく数も少ないながら種を稔らせた。私はせめてもの罪滅ぼしのつもりでその種を取り、翌年にはしっかりと植えた。

生命の四季

  恋の季節  水ぬるむ  干上がる川で  色即是空  美しい9月の朝に

  コスモスのようなヒマワリのこと  オーム貝

              オーム貝


      冬微光 化石の貝の 覚めぬほど   水尾

 私の部屋の本棚の上に、直径十数センチのオーム貝の殻がある。鮮やかな茶色の縞模様のある白いつややかな貝殻で、何年か前に観光地の売店で買って来たものだ。

 さてこのオーム貝、一見何の変哲もない貝に見えるが、実は、今から七千万年前、恐竜たちと共に絶滅したアンモナイトの仲間だそうだ。この種類の特徴は貝殻の内部に空気の入った浮力室があって水中を自由に泳ぎ回れることである。オーム貝はこういうアンモナイトの特徴を伝えているので『生きた化石』とも呼ばれており、現存の生物で言えば、貝よりもタコに近いのだそうである。

 今は冬。そして今日は今にも雪の降りそうな曇り空。本棚の上のオーム貝の殻には窓ごしのごく淡い光が射しているだけだ。しかし日本海式気候のこの地方の冬の天気は変わりやすく、晴れと曇りと雪とが、不規則に、目まぐるしく変わる。そのたびに貝殻に射す光と陰のさまも変わる。ところが、その目まぐるしい変化をも知らぬがごとく、オーム貝の殻はひっそりと本棚の上にある。

 思えば、本棚の上の貝殻をよぎるこの光陰の流れは、二億年以上を生きたアンモナイトの時代と、その後七千万年を生き延びてきたオーム貝の時代の、気の遠くなるような長い時間を象徴しているようではないか。この貝が何年前まで生きて海を泳いでいたのかは知らないが、今では死してその悠久の時の流れに加わったのだと思うと、何か宇宙の神秘に触れたような気さえするのである。

生命の四季

  恋の季節  水ぬるむ  干上がる川で  色即是空  美しい9月の朝に

  コスモスのようなヒマワリのこと  オーム貝

              五人と一匹に ついて


 私の家族は私と妻、長女の朝子、長男の太郎、次男の次郎の五人で、私がこの文章を書き始めた一九九四年当時は、朝子が小学校五年、太郎が小学校三年、次郎が幼稚園の年長組だった。その他に太郎が太郎が小学校一年生の時にもらってきたムーという犬がいた。

 私は高校の理科の教師で、妻もかつては国語の教師だったが、数年前には退職して、この頃は専業主婦であった。

 と、こう書くと私の一家は幸せな「ニューファミリー」の典型のように思われそうだが、実態はそんなイメージとは裏腹に、毎日がすさまじいとっくみあいの明け暮れだった。怒りっぽい両親と勉強嫌いで反抗的なこどもたちのどなりあいは、町内の名物だったそうである。

 そんな家族に幾分のうるおいと安らぎを与えていたのが犬のムーで、ムーは家族のみんなからかわいがられて、家族の中心にいた。そんな五人と一匹の物語である。

五人と一匹

  愛鳥週間  ホタル  廃村の人々  せんせいあのね

  女どうし  ムーの出産  ある後ろめたさ

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               愛鳥週間


 先日、小学校三年生の長男が下校途中の道でけがをした雀を見つけて、家へ連れて帰ってきた。長男にせがまれた妻はその雀を獣医に手当してもらい、エサも買ってやった。

 私が勤め先から帰ると、長男は眼を輝かせてそのことを報告しその雀を見せた。家に鳥かごがないので、雀はかぶと虫などを飼う大きめの虫かごに入れられていた。

 巣立った直後なのであろうか、きれいな羽根をしていた。私は『野鳥を飼うのは難しいよ、お父さんも子供の頃けがをしていたカラスを飼ったことがあるけれど、二、三日で死んでしまった。』と自分の経験を話した。

 翌日、勤務先の学校から家に電話しようと公衆電話のある正面玄関に行くと、雀が一羽バタバタと飛び回っている。外へ出ようとしているらしいのだが、玄関の大きな一枚板のガラスにぶつかってしまうのだ。私はドアを開けて雀を外に出してやった。 家に電話すると妻は私の用件も聴かぬうちに『雀が死んでしまった。太郎(長男)は布団にくるまって泣いている。』と興奮した声でまくしたてた。長男は人一倍思い入れの強い性格なので相当ショックだったらしい。

 今、愛鳥週間である。別にそれを意識したわけではないが、この二、三日、わが家は雀に明け雀に暮れた。普段は私がハラハラするほど厳しく子供を叱ることの多い妻も、この件に関しては長男のわがままをきいてやった。普段は読書に縁のない長男も学校の図書館で雀の本を借りてきて読んでいる。家族が皆一羽の雀を案じた結果、愛鳥週間はわが家にとっては家族週間となったようである。

五人と一匹

  愛鳥週間  ホタル  廃村の人々  せんせいあのね

  女どうし  ムーの出産  ある後ろめたさ

               ホタル


 昨日、伊吹山の麓の山東町でホタル祭りがあった。ここはホタルの名所として名高く、近隣の府県からも多数の見物客が訪れる。私たち家族は昨年も行ってみたが、半月ほど時期が遅く、もうホタルを見ることはできなかった。そこで今年こそはと、ホタル祭りの日を待ちかまえていたのである。

 ところが当日はあいにくの雨。それでも、もしやという期待もあって、一時間ほど車を走らせたのだった。しかし現地についた頃にはむしろ雨足が強まり、おまけに風まで出てきて車から降りることもできなかった。

 そんな日でもJRの駅からは次々と見物客が吐き出されてくる。それを見て妻は『こんなに客がくるのだから、もう少し待てば見られるのではないか。』と未練がましく言う。しかし私はそれも振り切って『花は盛りを、月はくまなきをのみ見るものかは』などと言いながら、車を家路に向けた。

 そして今日、私が犬を連れて近くの川べりを散歩しているとき、一匹のホタルを見つけた。彦根市内にホタルがいるとは聞いたことがないので、これは私の大発見だ。私はそのホタルを捕まえて急いで家に帰った。

 『ホタルを捕まえてきたぞ』という私の声にこどもたちが家から飛び出してきた。こどもの手にホタルを移すと、その幼い手の中で黄色い光が明滅し、その手が透けるように見える。一通りそのホタルを観察してから空中に放ってやった。ホタルはしばらく鮮やかな光の糸を引きながら周辺を飛び回り、やがて隣家の屋根の上に消えた。こどもたちにとっては生まれて始めて見たホタルだった。

五人と一匹

  愛鳥週間  ホタル  廃村の人々  せんせいあのね

  女どうし  ムーの出産  ある後ろめたさ 

               廃村の人々


 一家五人で登山しようと、ある山の麓の某村でキャンプした。交通の不便なこの村は、十年ほど前から定住者がなくなり、廃村状態になっている。ところが好運なことに私たちがこの村に入った八月七日は年に何回かの村の祭日で、元の住人が全員この村に帰っていた。キャンプ地を捜していた私たちは、断われることを半ば覚悟しながら寺の境内を使わせてもらいたいと区長さんに頼んでみた。

 するとその依頼に対して帰ってきた答えは驚くほど好意的だった。『そこはマムシが多いし、昼になれば直射日光を受けて暑いから、近くの神社の境内の方がいいだろう。そこなら日陰だしテントも張り易いだろうから。』というのである。そして神社の隣の人は自分の家の水道や便所を使いなさい言って、便所にトイレットペーパーを補給してくれた。

 また、村で一軒だけ電話がつながったままになっているという別の家の人は、『もし必要なら自分の家の電話を使ってもいい。電話の場所が分かるように家の電気をつけたままにしておいてあげよう。』と言ってくれた。 全く見ず知らずの人間にこれほど親切にしてくれる人々がいようとは、考えてみたこともなかった。この村の人々は最近まで古い生活習慣を守ってきたようだが、昔の日本人は誰もがこういう親切な応対をしていたのだろうか。それともこの村が山の中に隔絶していた村だったために、人懐かしい気持ちで来客を歓迎する風習があったのだろうか。

 いずれにしても、この体験は私に好意と善意をもって他人と交わることのうれしさ、素晴らしさを教えてくれたのだった。

五人と一匹

  愛鳥週間  ホタル  廃村の人々  せんせいあのね

  女どうし  ムーの出産  ある後ろめたさ