失われた不思議
いつだったか駅のホームで電車を待っていたときのことである。たくさんのコンテナーや石油タンクを連結した長い貨物列車が目の前を通り過ぎていくのを見て、私は『すごいねえ、こんなたくさんの貨車が一台の機関車で引っ張られているんだよ。』と、こどもたちに言った。それは私自身の純粋な感動からだったが、こどもたちに積極的な反応を期待する気持ちもあったのは事実だ。ところが彼らは何の反応も示さなかった。
無理もない。私は小さい頃に荷車やトロッコを押した経験から、あの機関車の力がどんなに凄いものか実感することが出来る。けれど、こどもたちは荷車を押した経験もなければ重い荷物を運んだ経験もないのだ。それにそういう凄い働きをする機械類を普段から見慣れているので、特別に機関車に感動する理由もないのだろう。時代が違うのだ。
思えば私の小さい頃はまだラジオがしゃべるのが不思議で、ラジオの中には小さな人間が隠れているのだと信じているこどもがいる一方、コイルだの真空管だのといったパーツを買い集めてラジオを組み立てるこどももいて、彼らは得意気にその経験を語った。私達にとって自然も機械も内部が見えるホワイトボックスだったのである。
ところが今、私達の周りにはテレビやコンピューターといったハイテク機器があふれていてそれらはすべてブラックボックスなのだが、我々は何の不思議も感じずに使っているのである。
この不思議さや感動の失われた世界が、私には寂しく、また人間の存続に関わる危機を秘めているように思われて仕方がない。
ふしぎ大好き
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