コスモスのようなひまわりのこと
数年前のことである。私は一袋の種を買ってきてひまわりを育てた。ひまわりは普通、直播きするものらしいが、私はまず育苗用の小さなプランターで苗を育て、それを家の周りに移植した。約十本のひまわりはグングン伸びて二階の窓の高さにまでなり、見事な大輪の花を咲かせた。
そしてその秋、このひまわりがすっかり枯れてしまった頃、私は生け垣の日陰に形も大きさもコスモスとそっくりの黄色い花を見つけた。最初はそれが何かわからなかったが、やがて、それは場所がなかったために移植せずそのまま忘れてしまったひまわりであることに気づいたのだ。その瞬間、私は胸を一突きされたような衝撃を感じたのだった。
私が移植しなかったために、小さなプランターの中で根も張れず充分な養分も吸収できなかったひまわり。おまけに生け垣の日陰になって太陽の光さえ受けることが出来なかったのである。それでも精一杯に育って、こうして時期遅れの小さな花を咲かせた。
私がそのときに感じた思いは、ちょっと説明がつかないほど複雑だった。まず、私がこのように放置して忘れてしまっていたことへの罪悪感があった。恵まれない条件の中で懸命に育ったひまわりの生命力への驚きと、頬ずりしたくなるようないとおしさもあった。そして逆に、このようにしてまで育つ生命というものの不気味さをも感じた。
そのコスモスのようなひまわりは、やがて、小さく数も少ないながら種を稔らせた。私はせめてもの罪滅ぼしのつもりでその種を取り、翌年にはしっかりと植えた。
生命の四季
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