だった症候群
オカルト本を読んでいると、『月はUFOの基地だった』とか『ベツレヘムの星は異星人の宇宙船だった』などというように、『××は○○だった』という表現によく出会う。もちろん本文中にもあるし本の帯のキャッチコピーにもよくある。また、今、具体的な事例は思い出せないが、怪しげな健康食品や眉ツバものの医学書の宣伝文句にも『××(病気名)の原因は○○の不足だった。』というような表現をよく見たように思う。
こういう表現が好まれるのは、『である』と現在形で書くと、その言明の内容が事実を表わしているのか判断を表わしているのかが曖昧になって表現として弱くなるが、『だった』と過去形で書けば既に確定された事実というニュアンスが強くなるからであろう。だから主張の根拠が薄ければ薄いほど、こう書いてそれが疑うことの出来ない真理であるかのような印象を与えたがるのだ。さらにこの表現には『なんと○○は××だった!』と意外性を強調する要素もあるので、注目度を高めて珍説を売り込むには一石二鳥なのであろう。こういう姑息な姿勢を、私は『だった症候群』と名付けている。
症候群と呼ぶのは、この種の著作にはそれ以外にもいろんな症状がみられるからだ。たとえば自分の論旨に都合のいい事実だけを取り上げてそれ以外は無視するとか、定性的な論議に終始して定量的な評価を一切しないとか……。
こういう症状についてはいずれ詳しく調べてみたいが、とりあえず『だった』を連発するような『こけおどし』のコピーだけは信用しないでおこうと思っている。
日本語の風景
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