2023年1月30日月曜日

                                        尊い犠牲とは?


 今日の新聞に三十三才の女性の『肉親殺された証言にがく然』という投書が載っている。あるテレビ番組で南京事件での日本兵の残虐行為を知り『加害者である自分たちの認識不足が悔やまれる』といい、さらに『当然のような顔をしていま享受しているこの幸せが、多くの尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない』と書いている。

 投書せざるを得なかった彼女の純粋な思いは疑うべくもない。しかし、私はこの文面に納得できないのだ。彼女は『尊い犠牲』というが、南京事件の犠牲者がなぜ『尊い』のか。私は揚げ足取りをしようというのではない。そこをはっきりさせないと、せっかくの投書もお題目になってしまうと思うのだ。

 犠牲者たちが侵略者と戦い、残虐行為をやめさせようと抵抗して、あるいは誰かを守ろうとしてその結果殺されたのなら『尊い』犠牲であるのはわかる。しかし犠牲者のほとんどはごく平凡な一般民衆で、何もわからぬまま一方的に残虐行為の対象とされたのだ。

 では、彼らの存在が私たちに侵略戦争の本質を認識させるから尊いのか。しかし、それでは私たちは再び彼らの無惨な死を利用することになり、彼らを二重に踏みにじることになってしまう。

 投書の主が『尊い犠牲』と書いたのはそのどちらの意味でもあるまい。『尊い』というのは犠牲ということばにつく枕詞(まくらことば)のようなものだろう。枕詞の多用はマスコミの悪影響だろうが、それはリアルな認識を妨げる結果にしかならない。そんなに軽くことばを使うべきではないと思うのだ。

日本語の風景

  人という字  いかがなものか  明日に架ける橋  だった症候群

  壮大なるゼロ  尊い犠牲とは?  ふたつの言語観

人生私語ダイジェストトップへ      人生私語23へ


0 件のコメント:

コメントを投稿