尊い犠牲とは?
今日の新聞に三十三才の女性の『肉親殺された証言にがく然』という投書が載っている。あるテレビ番組で南京事件での日本兵の残虐行為を知り『加害者である自分たちの認識不足が悔やまれる』といい、さらに『当然のような顔をしていま享受しているこの幸せが、多くの尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない』と書いている。
投書せざるを得なかった彼女の純粋な思いは疑うべくもない。しかし、私はこの文面に納得できないのだ。彼女は『尊い犠牲』というが、南京事件の犠牲者がなぜ『尊い』のか。私は揚げ足取りをしようというのではない。そこをはっきりさせないと、せっかくの投書もお題目になってしまうと思うのだ。
犠牲者たちが侵略者と戦い、残虐行為をやめさせようと抵抗して、あるいは誰かを守ろうとしてその結果殺されたのなら『尊い』犠牲であるのはわかる。しかし犠牲者のほとんどはごく平凡な一般民衆で、何もわからぬまま一方的に残虐行為の対象とされたのだ。
では、彼らの存在が私たちに侵略戦争の本質を認識させるから尊いのか。しかし、それでは私たちは再び彼らの無惨な死を利用することになり、彼らを二重に踏みにじることになってしまう。
投書の主が『尊い犠牲』と書いたのはそのどちらの意味でもあるまい。『尊い』というのは犠牲ということばにつく枕詞(まくらことば)のようなものだろう。枕詞の多用はマスコミの悪影響だろうが、それはリアルな認識を妨げる結果にしかならない。そんなに軽くことばを使うべきではないと思うのだ。
日本語の風景
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