人という字
『人という字を書いてみろ。倒れかかった二本の棒がお互いに支えあっているだろう。人間は一人では倒れてしまう。お互いに支えあって生きていくんだ。』。以前、武田鉄也扮する『金八先生』が、こういうセリフをはいていたのを覚えている。
しかし、人という字の中に本来そんな意味は含まれてはいない。念のために漢字の字源を調べてみたが、人という字は一人の人間が立っている姿から作られた象形文字がもとになっているらしい。つまり、支えあう人間ではなく自立する人間なのだ。
誰が言い出したのかは知らないが、こんないい加減な物の言い方も場合によっては感動的に響く。だからお説教にはうってつけだ。ことばというものは論理を表現するものである以上に情緒に訴えるものだからである。しかし、だからなおさら、私はこういうお説教を容認することが出来ない。
どのことばにも歴史的・文化的な重みを持った本来の意味があるのに、それを無視して自分の都合がいいように説明するのは、そのことばを踏みにじることである。しかもその一方でことばの持つ権威だけは利用しているわけで、卑怯という他ない。
では字源や語源の解釈が正確であれば、それを根拠としてお説教するのは妥当であろうか。いや、それもまた間違っていると思う。ことばは一定の時代背景のもとで作られ、特定の価値観や社会意識を含んでいるからである。語源に頼ってお説教するのは、ことばの裏にある古い社会意識を無批判的に押し付けることに他ならないのだ。
日本語の風景
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