2023年1月30日月曜日

               居直るべし


 大河内君の自殺に関わって、中学校の担任の先生の手記が教育委員会から公表された。そこにはいじめを受けていた大河内君の立場や苦しみに気づかず、自殺を未然に防止できなかったその先生の自責の念が切々とした文章で綴られていて、胸を打つものがあった。しかし私はこの手記を読みながら、何か釈然としないものをも感じたのである。

 そもそもこういう手記が教育委員会から公表されたこと自体が不愉快だ。これではまるで担任の先生に責任を転嫁して始末書を書かせ、それを公表して彼女を晒しものにするに等しいではないか。しかも、教育委員会の指導によると思われるこの手記が、彼女の真情をそのまま反映しているという保証はない。彼女にはこの手記に書くに書けない数々の無念の思いがあったのではなかろうか。

 手記を読むと、事件はまるで担任の先生の怠慢によって起こったかのような印象を受ける。しかし本当にそうだろうか。これだけのことが起こる背景にはかなり荒廃した学校の状況があったはずだが、そのとき学校全体はどう対応したのか、教師集団はどのように彼女をサポートしたのか。そうしたサポートもなく、彼女自身が孤立無援の状態で他の問題に振り回されて大河内君にまで手が回らなかったということは充分考えられることだ。

 しかし、仮にそうであったとしても、こうして手記を公表した以上、それ以外の余計なことはしゃべるなという圧力がかかっていることが予想される。かまわない。居直ってすべてをしゃべればよいのだ。それが自分自身と教育を守る道である。

 教育現場から

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