廃止されたリレー
私のこどもが通う小学校の運動会で、今年から選手によるリレーがなくなった。従来、鼓笛隊の演奏と組み体操、そしてリレーが最も盛り上がる種目だったのに、その一つがなくなったわけだ。その理由について公式の説明はないが、保護者の間に流れている情報では、選手を選ぶことは能力差を認めることになり、教育上よくないという配慮かららしい。
最近、こういう発想は教育の場でよく見られるが、ここまでくると悪平等であり過保護だ。走る速さに違いがあるのは歴然とした事実である。それは隠すよりもむしろ表に出すべきなのだ。そうすることによって速い者は自信を持つだろうし、遅い者は明白な目標を持つことができる。その結果こども達が物事に取り組む真剣味も出てくるし、集団全体の能力も向上していくはずだ。
走る速さに序列をつけることは人間の価値に序列をつけることではない。小学生くらいではその辺りを混同する者もいるかもしれないが、それを恐れるべきではない。むしろこの機会に人間の持つ能力差とそれに対処する方法、そして能力差とは無関係な人間の尊厳性について教えればいいのだ。それこそ机上の空論のような同和教育よりずっといい。
やがてこどもたちが入り込んで行く大人の世界は、あらゆる場面で能力差を公認し、それによって評価される世界である。こどもの頃に能力差を包み隠して過保護に育てられ、能力差を乗り越える方法を身につけないまま大人になったとき、彼らがこの社会に対応できるだろうか。今の教育はひ弱な人間を作っているように思えてならない。
学校の日常風景
幼稚園に来た手紙 根性のある話 廃止されたリレー 欠席の理由
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