草むらの凶器
芹川土手の草刈りをしていた私は、生い茂った草の中に朝露に濡れたミカン箱大の段ボール箱を見つけた。荷造り用のビニール紐でくくってあってずっしりと重い。また誰かがガラクタを捨てに来たのだろうと腹を立てながら、私はその箱を持ち上げようとした。
すると、段ボールの底の部分が腐っていたらしく、中から鋭く割れた何枚ものガラスの先端が突き出してきて、私は危うく手を切るところだった。もう少し勢いよく持ち上げていれば、何十枚ものガラスが私の足を直撃していただろう。いや、私ばかりではない。急斜面の土手の下の方では他にも何人もの人が草を刈っていたから、そのガラスは彼らの頭上に降り注いだかもしれないのだ。私は一瞬肝を冷やした後、腹わたが煮えくり返るような怒りを覚えた。
毎年、草刈りをするたびに無神経に捨てられた空カンの多さに憤慨する。が、それはまだ許せる。空カン以外にもいろんな物が捨てられていて、去年はベビーバスや小型テレビが無造作に転がっていた。ベビーバスを捨てた人は、一応家庭も持ち子育てもしている筈で、いわば一人前の社会人である。その社会人としての生活とベビーバスを捨てるという行為がどうつながるのか、その子育てがどんなものなのか、気になるところだ。
それでもまだ許そう。ベビーバスなら危険はないからだ。しかし、割れたガラスはそうはいかない。捨てた本人は自分の都合しか頭になく、こういう捨て方がいかに危険か考えてもみなかったのだろうが、エゴイズムも鈍感さもここまで来れば犯罪である。
平成風景点描
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