欠落したもの
私は極端に人の顔を覚える能力に欠けているらしい。道端で出会ってことばを交わした人にその翌日また出会ってもそれが昨日の人だとは気づかないし、私の教えている生徒について、その生徒はメガネをかけているか、髪は長いか、ときかれてもそれすら答えられないことが多いのだ。
多少の程度差はあってもそういうことは誰にもあるのだろうと、昔は思っていた。私が特別だとは思わなかったのだ。しかし最近では、私の能力の発達過程で人間の顔かたちを認識するという部分だけがスッポリと欠落したのではないかと思うようになった。
最近の心理学によれば、幼児期の特定の時期に特定の訓練が行われないと、それに関わる能力が形成されないままになるそうだ。それ以後の年齢での訓練は全く効果がないか、極めて効果が薄いという。考えてみれば、私は小学校に入学するまで、家族以外の誰とも口を聞いたことがなく、同年齢の友達と一度も遊んだことがない。それが影響しているということは、充分有り得ることである。
そういう私の『発見』を妻に話したら、妻は『欠落しているのは他人の顔の特徴を認識する能力ではなく、他人に対して興味を持つ能力かもしれない。』と言った。たしかにその通りだ。たぶん、それらは相互に関連しあっているのだろう。
しかし、こういう欠落の存在は本人にも周囲の人間にもなかなか気づかれにくい。いじめや登校拒否の多発の裏には、これに類する欠落が誰も気づかないままに横たわっているのではないかと気にかかるこの頃である。
マージナルマンリンク
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