大誤報の理由
事件記者というものは現場に何度も足を運び、聞き取りなどの独自調査も重ねて、時には警察より先に真犯人を見つけたり、警察の誤りを正したりすることもあるものだ、というのが私の新聞記者観であった。
私がこういうふうに思いこんでいたのは、NHKの人気番組、『事件記者』を見すぎたためかも知れない。しかし少なくとも、事件記者は警察情報のおこぼれに預かってそれを大々的に宣伝するのではなく、自らの判断と良識にたって真実を追い求めるものだという意識は、二十年ほど前まではごく一般的だった。大森実氏が海外特派員としての体験を、わざわざ『国際事件記者』と銘打って出版したのも、こうした事件記者のイメージにのったものであった。
もし今日なおこういう記者魂が健在であれば、松本サリン事件で河野氏を犯人と決めつけるような大誤報は起こらなかっただろう。実証主義、現場主義の立場で客観的に事実を追い、予断を排除した自主的な判断力を働かせていれば、あの時点で河野氏をクロと決めつけるような材料は何一つなかったはずなのだ。それに、大新聞社には優秀な科学部もあるではないか。
最近、ジャーナリズム全般に『真実を報道する社会の公器』という意識が希薄化し、TVのワイドショー並の『情報商品としてのニュース』という観点が支配的になってきたように思われてならない。マスコミが大衆扇動の道具に成り下がってしまうか、主権者の情報伝達機関になることが出来るか、今、その正念場に立っているのである。
マスコミに異議あり
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